八 幡 宮
 
八幡神を祀る神社は八幡神社(八幡社・八幡宮)と呼ばれ、その数は稲荷神を祀る稲荷神社に次いで日本第2位である。





■ 総本社



八幡神社の総本社は大分県 宇佐市宇佐神宮(宇佐八幡宮)で ある。元々は宇佐地方一円にいた大神氏の 氏神 であったと考えられる。農耕神あるいは海の神とされるが、 柳田國男 は鍛冶の神ではないかと考察している。 欽明天皇 の時代(539年〜571年)に大神比義という者によって祀られたと伝えられる。
宇佐八幡宮の社伝『八幡宇佐宮御託宣集』などでは、欽明天皇32年 (571年) 正月一日に「誉田天皇広幡八幡麿」(誉田天皇は 応神天皇 の国風諡号)と称して八幡神が表れたとしており、ここから八幡神は 応神天皇 であるということになっている。




■ 祭神



現在では、 応神天皇 を主神として、 応神天皇比売神 を合わせて八幡神(八幡三神)ともしている。神功皇后は応神天皇の母親であり、親子神(母子神)信仰に基づくものだといわれる。

比売神は八幡神の妃神と説明されることも多いが、その出自はよく分かっていない。八幡神は外来神で比売神はそれ以前に宇佐に祀られていた地主神だという説や、比売神は 宗像三神 または 市杵島姫命 あるという説、近年では 比売神は ヒミコ であり アマテラス であるという説も登場している。 八幡神社の祭神は応神天皇だが、応神天皇の父である仲哀天皇をともに祀っているところも多い。




■ 歴史



託宣をよくする神としても知られる。 称徳天皇道鏡 を次期の天皇にしようとしたときは八幡神の託宣があったと偽称し、 和気清麻呂 は宇佐八幡の託宣を受けてこれを阻止した (宇佐八幡宮神託事件)東大寺 の大仏を建造中の 天平勝宝 元年 (749年)、宇佐八幡の 禰宜 の尼が上京して八幡神が大仏建造に協力しようと託宣したと伝えたと記録にあり、早くから 仏教 と習合していたことがわかる。781年には仏教保護の神として八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)の神号が与えられた。これにより、全国の寺の守護神として八幡神が勧請されるようになり、八幡神が全国に広まることとなった。後に、 本地垂迹 においては 阿弥陀如来 が八幡神の本地仏とされた。

また、応神天皇が八幡神であるとされていることから皇室の祖神ともされ、皇室から分かれた 源氏 も八幡神を氏神とした。 源頼義 は、 河内国 壷井(大阪府羽曳野市壷井)に勧請し、 壷井八幡宮河内源氏 の氏神とし、その子の 源義家石清水八幡宮 で元服したことから、八幡太郎義家と呼ばれた。 1180年(治承4年)、平家追討のため挙兵した 源頼朝 が富士川合戦を前に現在の静岡県 黄瀬川 八幡付近に本営を造営した際、奥州からはるばる馳せ参じた 源義経 と感激の対面を果たす。静岡県駿東郡清水町にある黄瀬川八幡神社には、頼朝と義経が対面し平家追討を誓い合ったとされる対面石が置かれている。

源頼朝が 鎌倉幕府 を開くと、八幡神を鎌倉へ迎えて 鶴岡八幡宮 とし、 御家人 たちも武家の主護神として自分の領内に勧請した。それ以降も、武神として多くの武将が崇敬した。




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